
開発競争の先頭を走っているはずの企業が、自分から「少し速度を落としたほうがいい」と言い出した、というニュースを読んだ。
トップランナーが鳴らした警鐘
アンソロピックが、AI開発の減速や一時停止が有益だとする提言を公表したのだという。
アンソロピック、AI開発の減速・停止を提言「時間の余裕はない」 [AIの時代]:朝日新聞
最先端のAI「クロード・ミュトス」を生み出した、まさに競争の先頭にいる企業の話である。ミュトスは自律的にシステムの脆弱性を見つける能力が高いことで注目されているらしい。
核兵器の軍縮条約を引き合いに「不可能ではない」としつつ、体制づくりに何十年もかけている「時間の余裕はない」とも言っている。
トップランナーが自分でブレーキの話をするというのは興味深いところだ。
もう、片手間では追えない
ここで自分が考え込んでしまうのは、教育論というより、もっと手前の話である。
AIの開発競争にしても、新しいサービスのリリースにしても、もはや現場の教員が仕事をしながら片手間で追いかけていくのは、ほぼ不可能になってしまった。
半年前に把握したつもりの「最新」が、気づけば二世代くらい前になっている。授業をして、校務をして、部活をして…そのすき間で追える速度を、とっくに超えているのだ。
先頭にいる当事者ですら「減速したい」と言うほどの速さなのである。
その横で、片手間の自分が涼しい顔で追いつけるわけがない。追いつけないことを、まず正直に認めるところから始めるしかないのだろうと思う。
課金額で差がつく、という居心地の悪さ
もう一つ気になっているのが、格差の話だ。
今は、どれだけAIに課金できるかで、使えるモデルも機能もはっきり差がつく状況になってしまっている。無料の範囲でできることと、月いくらか払ってできることの落差が、わりと大きい。そうなると、個人単位の格差が、いろいろな局面でじわじわ広がっていく感じがする。
これは教育現場で考えると、けっこう厄介だ。教員の間でも、生徒の間でも、「払えるかどうか」が下地にある差が、そのまま情報や経験の差になりかねない。
「使えること」が当たり前の前提になればなるほど、その前提に乗れない側のことが見えにくくなる…。
開発を「減速」させようという提言は、皮肉なことに、少しだけ希望のある話なのかもしれない。立ち止まる時間を稼ごうという発想そのものは、追いつけずにいる現場にとってもありがたい。
ただ、その「立ち止まり」が国際的にうまくいくのかどうか、自分には正直よくわからない。わからないなりに、せめて目の前の格差くらいは見ないふりをしないでいたい、と思うのである。




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